うたかたの日々と夢うつつ

濡れた草の中の 青い小さな花 それはあなた それはあなた それはあなた

じわじわくる寂しさと人と繋がろうとする気持ち

 今年の二月に月に一度は会っていた友達が突然死んだ。自死ではなかったが、葬式も行われず、なんだかもやもやしたものが残っている。

 私は、自分を取り巻く人を舞台の登場人物みたいに思っているところがあって、自分と関わっている時以外のその人の生活が想像できない。下手をすると、自分と関わる時は存在していて、他の時間はしんでるじゃないかと思うくらいだ。

  自分を取り巻く人に対してそんなふうに感じているので、友達が死んだ時もそんなもんかと思っていた。でも、不在が長すぎる。最近はそう感じる。当たり前だ。もう会えないのだから。やっぱり、葬式は必要だ。残るものに、もう会えない。と分からせる為に。今ではそう思っていて、自分のエンディングノートも書き直したくらいだ。

  友達が死んだからなのか、私は、昔の友達と少しずつ連絡を取るようになった。連絡を取るというとすごいことだが、実際はLINEで友達になってみたり、ゲームのハートを送るくらいだ。それでも、今までの私は自分の生活圏外で生きている友達を意識する事はなかった。自分の前にいる時は生きていて、いない時は死んでいる。極端に言えばそう友達を認識していた私が、わざわざ、死んでいる人に声をかけて、生存確認をしている。不思議な気分だ。でも、そうさせているのは友達が本当に死んだという事実なんだろうなと思っている。