うたかたの日々と夢うつつ

濡れた草の中の 青い小さな花 それはあなた それはあなた それはあなた

じわじわくる寂しさと人と繋がろうとする気持ち

 今年の二月に月に一度は会っていた友達が突然死んだ。自死ではなかったが、葬式も行われず、なんだかもやもやしたものが残っている。

 私は、自分を取り巻く人を舞台の登場人物みたいに思っているところがあって、自分と関わっている時以外のその人の生活が想像できない。下手をすると、自分と関わる時は存在していて、他の時間はしんでるじゃないかと思うくらいだ。

  自分を取り巻く人に対してそんなふうに感じているので、友達が死んだ時もそんなもんかと思っていた。でも、不在が長すぎる。最近はそう感じる。当たり前だ。もう会えないのだから。やっぱり、葬式は必要だ。残るものに、もう会えない。と分からせる為に。今ではそう思っていて、自分のエンディングノートも書き直したくらいだ。

  友達が死んだからなのか、私は、昔の友達と少しずつ連絡を取るようになった。連絡を取るというとすごいことだが、実際はLINEで友達になってみたり、ゲームのハートを送るくらいだ。それでも、今までの私は自分の生活圏外で生きている友達を意識する事はなかった。自分の前にいる時は生きていて、いない時は死んでいる。極端に言えばそう友達を認識していた私が、わざわざ、死んでいる人に声をかけて、生存確認をしている。不思議な気分だ。でも、そうさせているのは友達が本当に死んだという事実なんだろうなと思っている。

 

 

 

 

 

大人のピアノ発表会

先日、ピアノの発表会がありました。発表会といっても、いつもの教室で行われるもので、普段は別々の時間帯に習っている大人のピアノ教室の生徒が、一年の成果を発表するというニュアンスが強いものです。参加者は30人くらい。最高齢は、今年米寿の男性。なので私は若い方なのです。

いざ自分の番となり、椅子に座ってから老眼鏡を忘れて取りに戻る人や、暗譜で弾くつもりがやっぱりと、楽譜を取りに行く人や、1、2小節目でまちがえ、今のは練習でーす。というツワモノまで。いろんな人がいました。でも、みんな同じように緊張しているっていうことはわかります。大抵の人は指が震えてますもん。ワタシ含め。

大人になって、ある程度社会に慣れてくると緊張する場面ってなかなかありません。歳をとればなおさらです。それが指が震えるほど、緊張する場面にでくわす。これって貴重な体験だなーといつも思います。

今年も終わった発表会。私も例年通りいつもは間違えないところでまちがえ、頭が真っ白になったのでした。来年もがんばる。

時間泥棒

テレビとスマホのゲームという時間泥棒に遭っている。そりゃあ、読書もしますけど。

子供の頃はあまりテレビを観なかったせいか、大人になってからよく観るようになった。

とくに今クールは大変。

まいにち、べっぴんさん。

火曜日 レディダビンチ。

水曜日 相棒。

木曜日 十人の黒い女。 舟を編む科捜研の女

金曜日 砂の塔。エヴァンゲリオン

土曜日 3月のライオン

日曜日 ちびまる子ちゃん真田丸

あと週末にフィギュアがあればフィギュア。

もう大変だ。大抵は録画で観るんだけども、なんでこんなことになってしまったのかと思うこともある

でも、時間泥棒がときどき必要なこともある。

初めてのマンモトーム生検

  マンモトーム生検を受けてきました。ネットではいろいろみましたが、周りの人に聞いた話ではバチッと音がするらしい。というのが唯一の情報。しかも又聞き。たぶん、針を入れる時かなあと思いながら、病院に行きました。

 病院に行き、上下検査着に着替える。上衣は下着を外して、下はズボンをはき替える。靴下も脱いでスリッパに替えました。で、待つ。結構、待ち時間が有ったので、色々なパンフレットを見たり、技師さんの資格をみていました。マンモ専門の技師さんの資格もあるんですね。小さい病院だけど、乳腺外来だしよかったなあと思いました。

 生検をやる部屋は、以前マンモグラフィーを撮った部屋で、座っての検査でした。うつ伏せになってするタイプもあって、うつ伏せの方が精神的にいいそうですが、設備上のことは仕方ないです。実際に、気分が悪くなる人もいるそうです。採血でも気分が悪くなる人がいるので、自分のおっぱいに針が刺さるなんて考えただけでも、ダメな人はダメだと思います。しかも、4ミリの針って。実際、測ってみると結構太いですよね。

 検査室に入ると、生検する方の袖を脱いでその上からビニールの割烹着タイプのエプロンを付けます。そして、生検する方の乳房が出るようにビニールのエプロンを切ります。それから、キャスター付きの高めの椅子に座ります。

 次は、針を刺す場所決めです。石灰化しているところの組織を採れるように、確実に針を刺さなきゃいけないので重要です。なので、乳房を挟んでレントゲンを撮ってを繰り返して場所を決めていきます。マンモくらい、薄く挟めればいいんだけど、あんまり薄くすると"針が突き抜けてしまいますよ"という警告が画面に出るそうです。また、局所麻酔を打つことで、なかの組織が動くこともあり、それを見越して局所麻酔を打つそうです。そのため、先生と技師さんの間では、何ミリ下とか、さっきの方がよく見えてとかいろいろやりとりがありました。局所麻酔は全然痛くありませんでした。歯医者で歯を抜く時の方が痛かったです。

 私も動かないでいるんですけど、やっぱり無意識に動いているんですね。やっぱり、ずれていってしまうんです。顔をこちらに向けて下さいと言われてその通りにしているんだけど、力が入って肩や首が痛くなってくるし。

 さあ、いよいよ針が入りますよ。って時は看護師さんが耳を押さえてくれました。思ったほど、大きい音ではありませんでした。その後は、たぶん組織を吸引している音だと思うんだけど、キュルキュルって音が何度かしました。私は、見たかったんですけど、違う方を向いていなければいけなかったので出来ませんでした。終わった時に、見たら乳房の上の方から血が一筋流れていました。

 終わった後は、先生に止血のために穿刺部位を押さえてもらいながら、椅子を降りてレントゲン台に行き、横になりました。この辺が、慌ただしかったです。そして、一枚レントゲンを撮り(なんのレントゲンだったんだろう)止血が看護師さんにかわりました。乳房は血がとまりにくいそうです。 10分くらい圧迫止血をしてもらって、ガーゼ、タオルを当て、バストバンドを巻いて終了。

 検査室を出たら、首がごっきて鳴りました。絶対、うつ伏せでやった方が楽だと思いました。鎮静剤と抗生剤をもらって帰宅。1日目は終了です。

 翌日、バストバンドとタオルをを外してもらい、パット付きのフィルムを貼ってもらって終了。もう、お風呂に入って良いですよ。との事でした。

 

以上が私のマンモトーム生検の体験です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インテグレイトのCM 私の感想 ぐちゃぐちゃです

 話題になっていたCMです。私は、誕生日の方は話題になってからみました。疲れを見せるうちはプロじゃないの方は、話題になる前にみましたけど、そんなん綺麗事やん。くらいの感想しか持っていません。誕生日の方は、けっこう酷いこと言ってます。25過ぎたらチヤホヤされないとか?これがなんで酷いと思うのか? 

それは 

チヤホヤされる事がいい事で、されないことは残念な事である。可愛いことはいいことで、可愛くない事は悪いこと。っていうのを、若い子に伝えちゃってる。もっと言えば、植え付けちゃってる。悪く言えば、洗脳している。ひいては歳をとるといい事ないよ。といっているようにみえる。

 

歳をとった自分からみれば、チヤホヤされようとそうでなかろうと人生に大差はないです。チヤホヤされようと思って、外見ばかりに気を使っていたら自分は人生で何かを取りこぼしてたような気がします。外見ばかりに気を使わなくても、人間性をみている人は見ています。そして人間性を見ている人と出会った方が良い人生を送れる気がします。 

 

もう一度いうと、私が罪なCMだなと思うのは、まだ、若い人に無理矢理、へんな価値観を押し付けている事です。そして、それが連鎖していく事。この手のCMをなんの疑問を持たずに観て、大人になっていく人は、きっと娘が出来た時に言うのかもしれません。おんな子は可愛くなきゃ駄目なのよ。とか。それは、呪いの言葉でしかありません。

 

わたし、考えすぎですか?

 

価値観に対する寛容さを訴えながら、無意識になのか価値観を押し付ける(しかも、押し付けられてる側は気付いてないかも)世界。それが怖いのです。それをつゆとも自覚していない事が怖いのです。

 

 

 

エリザベート ~ゾフィーの言い分~

 帝国でただ一人の男と言われたゾフィーです。私も必死でした。夫亡き後、まだ若いフランツの後見として、オーストリア帝国を守らなくてはいけませんでした。

 息子フランツとシシィとの結婚には、反対でした。でも、皆さんが思っているほど最初から険悪だったわけではありません。フランツは23歳。シシィはまだ16歳でした。若い二人ですもの。突然恋に落ちたのでしょう。花嫁修業完璧の長女の方ではありませんでしたけど、どちらにしろ私の姪には変わりありません。結婚式の頃には、まあどちらでも変わりないと思っていました。大体、田舎の花嫁修業なんてタカが知れています。皇后としての立ち振る舞いや、宮殿での作法などはどうせ一から教えなくてはいけません。それだったら、若くて変な癖のついてないシシィの方が躾け易いんじゃないかとも思いました。礼儀作法なんてどうにでもなります。ただ、世継ぎを産んでくれればよいのです。私は、そう簡単に考えていました。

 ただ、シシィは思ったよりずっと強情でした。それでも、フランツは当初、私に味方をしてくれました。それが私には唯一の救いだったのです。外交のほうでは、シシィも役に立っているようでした。私は、疎まれても夫婦が仲良くやってくれ、オーストリア、しいてはハプスブルク家が安泰ならそれでいいと思っていました。

 それなのに、徐々にフランツの態度が変わってきたのです。あの子には、懇々と言い聞かせてきました。時に、冷酷に冷静に執務を執り行うこと。皇帝たるもの優しいだけでは、帝国の統制はとせません。フランツにはもともと優しさというか、甘さがありました。だからこそ余計に厳しくしたつもりです。シシィにも懇々と説明したのですけど、シシィは所詮、余所者。ハプスブルクの重みなどわかるはずがありません。フランツの甘さにシシィは付け込んだのでしょう。フランツが子供の教育をシシィに任せてほしい。といいに来たのです。フランツとシシィの長男、ルドルフは生まれたときから皇太子という立場にいました。ただの子供ではないのです。教育の専門家が何人も付き、普通の子供とは違う教育を受けるのです。将来、立派な皇帝となるために。シシィは完全に間違えています。いうことを聞くフランツもフランツです。私は、頭がくらくらしました。

 教育係の手を離れたルドルフがどうやって過ごしたか私は知りません。でも、フランツからシシィが出っていったと聞きました。いったい彼女は何をしたかったのでしょう。そして、今度はフランツが私を責めます。シシィが出ていったのは、私のせいだというのです。

 私は、フランツに厳しすぎたのかもしれません。でも、フランツの幸せを願わない日は一日もありませんでした。ハプスブルクの幸せを願うことは、フランツの幸せを願うことだと思っていました。違ったのでしょうか。なにか悪い予感がします。私は、本当に信じていました。疑ったことすらありませんでした。ハプスブルクの幸せがフランツの幸せにつながっているのだと。でも、もう私には過ちをただす力も時間もないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

マイノリティという名のマジョリティ

マジョリティ=多数派。マイノリティ=少数派。自分はどっちに居たいだろうか。多くの人はマジョリティ側だろうと思う。

私は自分をマイノリティだと思ってきたし、今でもそう思っている。小学生の頃から自殺というものに惹かれ、女子が一緒にトイレに行くことを疑問に思い、高校生の頃に自傷が始まり、同性を好きになったり、自分の持つ衝動を持て余し、ああ、そんなに長く生きないんだろうな〜と思いながら、もう30を超えている。思春期特有のものだったのかもしれないが、同じく思春期を過ごした友人で身体中傷だらけというひとも、精神科に10年以上かかってる友人もいない。

自分は自分でマイノリティだと思ってきた。それでも、マジョリティに憧れて、激しく嫉妬した。自分にとってマジョリティというのは 普通 の事でそれを手に入れることがどうして自分には出来ないのか、そう思うことが余計に自分を苦しめていたのだと思う。親もどうして普通でないのかと言ってきたりすると、自分でもよくわからないので悲しくなった。

自分をマイノリティだと思っていた自分だってそうなのだ。今まで自分をマジョリティ側だと思っていた人が、実はマイノリティなんだよ、と気付いた時にどれだけショックを受けるんだろう。まずは認められないんじゃないだろうか。マジョリティからマイノリティに突き落とされる。世間には圧倒的にマジョリティの方が多いし、マジョリティ側の方が有利に出来ている。単なる平行移動ではない。あきらかに堕ちるのだ。私でも、これくらいの想像はつくので、たぶん想像以上に大変なんだろう。

でも、マジョリティとマイノリティはどこで分けるのだろう。自分を自分の視線で分けてみる。

1.女性。性自認と性が一致している=マジョリティ

2.性的指向。?バイ?=マイノリティ

3.既婚者=マジョリティ?

4.非正規=?

5.精神科通院=マイノリティ?

6.子なし=マイノリティ?

なかなか分けられないものが多い。それなのに、やっぱりマジョリティの方がいいと思う人が多いのだろう。私はそうは思わない。

最近はマイノリティというマジョリティが増えてきたなあと感じる。マイノリティの人が沢山いて、それがマジョリティという力を持ち始めている。もっとみんながマイノリティになればいいのに。